『ザカリーに捧ぐ』


★★★★

2001年に殺害されたアンドリュー・バッグビィの子供の頃からの友人である監督による作品。アンドリュー・バッグビィは、ペンシルヴァニアの駐車場で殺害される。その第一容疑者であった彼の元ガールフレンドのシャーリーは、アンドリューの子供を妊娠・出産し、ザカリーと名づける…。(公式サイトより)
前から観たかったドキュメンタリーなのですが、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』並に心をズタボロにされ絶望に打ちひしがれる映画と聞いて、躊躇していました。なんですが、よし、今日こそは観るぞ、という感じではなくなんとなく見出したら最後まで観てしまったという。こういうのよくあります。

あらすじが本当にざっくりしているので、もうちょっと映画の序盤を説明すると、アンドリューは良い人柄ですぐ人に好かれ、皆に愛されるような人だったと。そんな彼が28歳のとき殺されてしまう。その容疑者はアンドリューの恋人だった40歳のシャーリーだった。アンドリューの友人や同僚は「元々からおかしな人だった」とみな口を揃えていう。アンドリューは、その前の失恋のショックが強かったこともあってか、もしくは「いい人」だったからか、シャーリーとしばらく付き合ったが、彼の方から別れを告げた。その失恋の恨みから、シャーリーはアンドリューに付きまとい、公園に連れて行き頭、胸、尻、後頭部に計5発もの弾丸を撃ち込んだ。動機、タイミング、そして凶器の入手経路から、シャーリーが殺害犯であることは間違いない。一人息子が殺され、哀しみに打ちひしがれていた両親、バックビィ夫妻は悲しみと同時にシャーリーへ怒りを燃やす。が、ここで衝撃の事実が明らかになる。シャーリーはアンドリューの子どもを妊娠していたことが判明する。息子を殺した異常者に孫を委ねることなどできるわけもなく、バックビィ夫妻はなんとか孫の世話をしよう、親権を得ようとするが…という感じです。

最後まで書こうかと思ったのですが、この辺で止めておきます。

まず、このドキュメンタリーははじめ、亡くなった自分の大切な友達であるアンドリューのことを記録に留めようとする意図で作られ始めたんですが、途中でアンドリューの息子(ザカリー)がいると知って、彼にお父さんのことを知ってもらおうという目的に変わるんですね。だから、タイトルは『ザカリーに捧ぐ(Dear Zachary)』となっているんですが、映画の最後では「ケイトとデヴィッド(バックビィ夫妻)に捧ぐ」、と出てきます。そんなわけで、序盤、中盤、終盤と主体が変わっていくところがこのドキュメンタリーの面白いところです。撮っている最中に目的が変わっていく様子がリアルに伝わってくる感じでした。

まあこれほどおぞましい、恐ろしいことが起こるのか、こんな悲劇が現実に存在するのかと本当に心がボロボロになります。まずはやっぱり、殺人犯であるシャーリーに対して、観てるこっちも怒りを覚えます。バックビィ夫妻は、孫のために息子を殺したシャーリーと面会したり、電話でやりとりしなければいけないのですが、その時の彼女の言動や口ぶりがすごい。落ち込んでみせたり、攻撃的になったり、一旦は受け入れてくれたかと思えば急に翻したり。まともな人がまともに受け合えばこっちが壊されるような。こういう奴、いるんですよ、自分のことを平気で棚に上げて甘えたり攻撃してきたり、自分のペースにはめようとしてくる奴。映画だったら悪人として素晴らしいとおもいますが、事実なのでむかっ腹立ってくる。
それもそれだけでなく、司法制度や児童福祉が実際のところは犯罪者を擁護するようにできているという不条理も合わさって、本当に打ちのめされます。

なんですが、一番辛いのはアンドリューの両親、ザカリーの祖父祖母であるバックビィ夫妻です。この2人を、息子を殺されたという悲劇、次に息子を殺した女が孫を妊娠していたということ、さらに孫のために息子を殺した女と会って話し、怒りを抑え、一緒に公園に行き、一緒に誕生日会を開き、一緒に遊ばなければならないこと、そしてもう1つ、とんでもない悲劇が夫妻を襲うんですが(書いてて心臓が痛くなってきました)、夫妻はこれを乗り越えていくんです。もとより本当に立派なご夫婦で、そんな彼らが息子の死を嘆いて自殺を考えた、とか、ザカリーのためには妻に睡眠薬を飲ませ、あのクソ女(bitch)をぶち殺せば妻にはアリバイがあるから容疑を避けられ、ザカリーの養育権が奪えるだろうと考えていた、とか語っている時点でいかに追い込まれていたかが伝わってきて、どれほど想像もつかないような悲しみと怒りを感じていたのだろうと思わされます。

このドキュメンタリーが素晴らしいと思ったのは、バックビィ夫妻が考えられないほどの精神的苦痛、ショックを受けても彼らはそれに耐えたのだ、ということを映し出しているところです。それだけでなく、彼らだけでは到底無理だっただろうけど、なんとか耐えることができたのは、アンドリューの友達や同僚たちが共に悲しみ、苦しみ、そして励ましてくれ、支えになっていたからだ、ということも見せている。なんか陳腐な表現になってしまってるので別の言い方が思いついたら書き直したいですが、とにかくそういうものを感じ取れたので、ああ、観て良かったな、良いドキュメンタリーだったなと思えます。

このドキュメンタリーの監督はアンドリューの友人であり、バックビィ夫妻同様に悲しみ、怒り、耐えた人物であると思われ、当然アンドリューサイドからの視点で撮っており、シャーリー側の事情は一切描かれません。彼女はどういう人生を歩んできたのか。どういう人格だったのか。彼女はほかに3人の子どもがいたのですが(うち1人は出てくる)、その子どもとはどういう関係だったのか。などなど、気になるところが多くあります。なんですが、この映画で最終的に問題にしているのは、「避けられたはずの悲劇を迎えてしまった、そうさせた司法制度や児童福祉といったシステム側の問題」なんですよね。確かにシャーリーが起点となって一連の悲劇が起こってしまうわけですが、その中で避けられたものもあった。それは個人の問題を超えた、システムの欠陥であって、それは最も早急に改善されるべきだ、という着地をしているので一つのドキュメンタリーとして完成度が高いものとなっていると思います。

とは言え、事実シャーリーのような人間は世にいるわけですから、恐怖というか怒りというか何ともいえないモヤモヤしたものが残るのは仕方なし…。

ちなみに、これは『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』のシリーズなんですが、町山さんの解説も入れて欲しかったですねー。地方民は観れなかったわけですし、テレビ丸々入れてくれても良かったじゃない…!

松嶋×町山 未公開映画を観る本

松嶋×町山 未公開映画を観る本

解説、本にはなっているんだけど、しゃべりのほうが良いな…

途中まで観て止めてるコーナーに入ってます。特に理由はないんですけども。