『ウィ・アンド・アイ』


★★★★

この映画の存在を知ったのは、以前から度々読ませて頂いているrino5150さんのブログ、「The Cinema Show」にて、『俺と「ウィ・アンド・アイ」』(http://d.hatena.ne.jp/rino5150/20130429/1367242421)の記事を読んだときでした。
その中で昨年のマイベスト『桐島、部活やめるってよ』と共通する部分があったり、というところまで読んだところで「これは観に行こう!」と決めたのですが、その時は福岡での公開がだいぶ先のことで、先日ようやく観れたのでした。

まず、ミシェル・ゴンドリー監督作品は映画として好きかどうか微妙なラインで、オムニバス映画『TOKYO!』を観たときに、映画を撮るならやっぱり短編向きじゃないかなぁと思ったりしたのですが、有名MV監督でもある彼の映像はやっぱりどこか目を惹かれる部分があったりして、ついつい気になってしまうものであります。
これはMVですが、Chemical Brothersの『Star Guitar』のMVが、電車の中から流れていく外の風景を眺めながら、通りすぎて行く建物やうねるような電線の動きを見てはなにか想像せずにはいられない、そんな感じの遊び心を見事映像化してくれたような映像で、音楽とのシンクロ具合がとても気持ち良くて大好きです。

他にも、カイリ・ミノーグの『Come into My World』だったり、ジャミロクワイの『Virtual Insanity』だったり、「どうやって撮ってるんだろう?」と思わずにはいられない、1回観ただけで強烈に記憶に残るMVを数多く撮っていて、すごいアーティストだなぁと思います。

そんなわけで、今作『ウィ・アンド・アイ』ですが、『桐島』と同じように、様々なタイプの、ヒエラルキーのいろんな位置に属す高校生たちが主人公で、彼らの関係性やドラマを、学校ではなく下校バスを舞台として描いたものでした。
ところどころグッとくるところがあったり、ラスト周辺は自分でもよくわからない涙がこぼれたりしたのですが、自分の中で感想がうまくまとまらなかったり、結局『ウィ・アンド・アイ』ってどういう意味のタイトルだったんだろう…とかわだかまりが残っていたのですが…
前述したrino5150さんの、『俺と「ウィ・アンド・アイ」』が本当に素晴らしく、ぐちゃぐちゃに絡んでいた糸がスル〜と解け、なるほど〜!と深く納得いたしました。

ここまで書いておいて何なのですが、ほんと、この映画を観られた方はこれを読むよりぜひそちらを読んで頂きたいです。

>”Weの中のI”じゃなくて”I”として自分を見てくれる誰か。そんな誰かの存在が、この世界を生きていく上での一つの支えになったりするんじゃないかな。

特にこの一文に深く頷きました。僕が思わず泣いてしまったのはまさにこの部分に触れるシーンであり、涙の理由がわかった気がしました。僕自身もまだ大学生とはいえ、たまに社会の中の自分”Weの中のI”と”I”のズレに苦しくなることがあり、時折存在する”Weの中のI”と”I”が同じなんじゃないかと思わずにはいられないような人、または何の苦もなく”Weの中のI”を演じられるような人を見ては、強いな、自分もああいうふうにありたい。その強さが羨ましい…と思ったりすることがあります。相手が好きな人物であったりするとギャップに苦しむことは少ないのですが、嫌いな人物相手に振る舞うときに特にそう感じます。後で自分の言動を振り返って、ああ、だっさいな俺…とかとか思っちゃったり。
僕は今大学生だから生活の中で相手を選ぶ余地が十分にあり、唯一選べないような研究室やバイト先の人たちも皆好きな人たちばかりなので、今は良い環境に恵まれているのですが、今後社会人として社会に出て行く頃にはそうもいかないのだろうな、と考えると気が重いですね。変に肝っ玉は小さいくせに、”I”を隠し通すことに我慢できなくなってたまに噴出してしまうことがあるので、その辺り怖くもあります。が、「ああ、だっさいな俺…」とできるだけ思わないような生き方をしていきたいものであります。

話がずれましたが、”Weの中のI”を演じる大半の我々にとって、”I”として自分を見てくれる誰かの存在はやっぱりとんでもなく大きいものだと思います。それは自分の「弱さ」をわかってくれた上で自分と付き合ってくれている、その喜び、安堵感じゃないかなと。この映画のように”Weの中のI”として振る舞うなかで、心の中では「ごめん…ほんとはそんなつもりはないんだけど」って思いながらもその人物を傷つけてしまうかもしれない。例えば会社では妻の事をネタに笑いをとりつつも、実はその場を沸かせるために言ったことで本人に妻への不満があったりするわけではない、というようなことがあるものだと思います。他にも、友人の前での彼女に対する扱いと、二人きりのときの接し方が違っていたり…。この映画では悪ガキが思いっきりいろいろやっておきながらも、最後には分かってくれる女の子がいるという、その寛大さに驚きつつも、「彼氏と彼女」の関係性ではないからなのだろうな、と自分を振り返りつつ思ったりしました。(それにしてもイジメの部分はそこそこにやりすぎでは?と思わずにいられない。エンドロールで二人でにこやかに話していたけどちゃんと謝ったんだろうな!)

そんなわけで、rino5150さんのブログを読んで知った『ウィ・アンド・アイ』、鑑賞後も映画の理解に大いに助けて頂きました!

ここから、『ウィ・アンド・アイ』鑑賞直後に思ったしょぼい感想を少し書いてみたいと思います…。
まず、アメリカの高校怖ぇー!!乱射がどうとかそういう話ではなく、日本じゃ考えられないアクション(言動)の連続。日本でいうイジメって、陰湿なイメージがあるものですが、みんなの目の前で普通にやるんですよね、アメリカ。なんでしょう、度を越えたイジリっていうか、思いっきりやるんですよ、なんかいろいろと。あとキスとか性的なもののハードルが低い低い!「あんたなんでここにいんの。あっちいってよ」「キスしてくれたらあっち行ってやるぜ」「仕方ないわね」ぶちゅーってええ!!!
ティーンもの映画を観てはアメリカの高校生になりたいと常々思っていましたが、あちらの高校で生きていける気がしなくなりました。ザ・戦場!!って感じですよ!!たまたま乗り合わせたおばあちゃんやおっさんまで手にかけるし!!恐ろしい!!
ゲイのカップルが周りに受け入れられているような感じでしたし、割とリベラルな方の地域だと思うのですが、頭はそれほど良くないような人たちが多かったイメージ(率直な感想)だったので、進学系の高校ではないんでしょうけども…。

一方、それと共通する部分ではありますが、何でも明け透けに言う文化っていうのには惹かれるものがあります。最後、沈黙を貫いてきた男の子が、かなり鋭い洞察力を持っていて悪ガキ男子と打ち解けたか…と思ったら言いたいことをズバズバと言い放って去っていくのですが、そこまで言うか…!とショックを受けつつも、日本で我々が他人の言動からじわじわ伝わってくるようなことを、こうもストレートにはっきりとグサグサ言われるのは悪いことではないように思いました。これはこれで生きやすいんじゃないかと。あの男の子は恐らく”Weの中のI”と”I”が同じである側の人間ではあるけれども、単純に「言いたいことを言う」土壌があるということは健全な環境であるように感じます。それによってダメージを喰らうことも多々あるとは思いますが、それでもやっぱりそういう部分に惹かれる自分がいるので、アメリカの高校生になりたいな、と相変わらず思うのでした。